相馬 久敬 先生 (理科) 1963~1982              (専門は生物、地学もかなり長い間担当されました)

 

** ご挨拶 **

この度は、占春会から投稿の依頼をいただきありがとうございます。
清友高校の名前がなくなり本当に残念です。
特に、卒業生にとっては何ともたまらない気持ちが強いと思います。
それでも「占春会」を続けて頑張っておられる由、大変感動いたしました。

◆清友高校での思い出深い出来事

 清友高校は、大学を出て最初に勤務した学校です。
 しかも、先に勤めておられた生物の原田先生の、大学の後輩でもありましたので
 同じ生物の準備室(教師の部屋)でずっと一緒で、居心地がよく何かとお世話になりました。
 高校時代にバレーボール部だったという話をしたら、すぐ顧問にさせられました。
 当時、清友の運動部には強いクラブが多く、バレー部もかなり強い方で
 毎日遅くまで練習していました。
 そのために、実験の準備などは練習の終わった7時頃からやっていました。
 また休日も試合の付き添いでよく出てゆきました。そんな訳で、バレー部の生徒とは
 かなり親しくなり、卒業後もクラブの集まりにもよく呼んでもらいました。
 勤めて3年目から担任を持ちましたが、最初に担任をした学年の生徒とはあまり年も離れて
 いなかったので、教師というより友達のような感じでずいぶん親しく付き合っていました。
 その関係はいまだに続いています。

 私たち新人教員は7人(男性5人/女性2人)一緒に清友に赴任したが、男性教員同士は
 かなり親しく付き合っていました。
 当時、男性教員には警備のために宿直という制度があり、順番に学校に宿泊することに
 なっていました。
 それで、同期の男性教員のうちの誰かの宿直の日にはよく一緒に学校に泊まり、
 すき焼きをしたりしながらいろいろ話し合ったものです。
 後に府立移管されて共学になりましたが、女子高時代の清友は文化祭や体育祭なども
 みんな熱心に取り組み非常に活発で、今振り返ってみてもかなり充実していたと思います。
 この頃の体験は今でも楽しい思い出として心に残っています。

 当時、公立の女子高は清友と堺女子高の2校でしたが、やはり男女共学が普通だろうとの
 判断もあり府立に移管して共学にしようとの運動を進めていきました。
 その結果、1979年から男女共学の府立高校となりました。
 2,3年生はもとのままでしたが、新入生からは男女共学で1学年12学級となりました。
 そして校舎は高安の地から服部川へと移りました。
 それまでの女子高から共学に、そして3年後には生徒数も教員数も一気に倍増した
 大規模校になりました。
 清友の雰囲気はガラッと変わりました。
 というより以前からいた者にとっては、全く違う学校になったという感じがしました。
 結局、私は共学1年目の学年を3年間担任して卒業生を送り出したのち、枚方市にあった
 新設3年目の府立校(香里丘高校)へ転勤しました。
 その後はずっと香里丘高校に勤務し、2000年に定年を迎えました。

◆教師を職業に選ばれた理由

 私は特別な決意を持って教師になったのではなく、教師は長期休暇があり
 割合自由に仕事ができるだろうとの思いが強かったと思います。

◆近況報告

 清友に勤務していた時から、趣味として大合唱団に所属し、大阪フィルハーモニーと
 共にオーケストラ付の大合唱曲を歌ってきました。
 有名なベートーベンの第九などは30数年間フェスティバルホールで歌ってきました。
 最近は各地域で第九の演奏会があり、第九は未だに歌い続けています。
 なお、退職後は男声合唱団に所属してコーラスを続けています。
 10月23日(金)には、寝屋川市にあるアルカスホールというところで、
 私の所属する8人の男声合唱団「なにわ」が定期演奏会をします。
 この合唱団は全部アカペラ(無伴奏)で、日本の曲ばかりを歌っています。
 (少しコマーシャルを入れさせてもらいました)。
 今年後期高齢者になりましたが、もう少しコーラスを続けたいと思っています。

◆占春会に一言

 占春会を引き継いでくださっていることに敬意を表します。
 何かと大変とは思いますがこれからも無理のない範囲で頑張ってください。