冨田 隆文 先生 昭和43年4月~昭和59年3月

♪♪♪♪♪   先生に聞きました   ♪♪♪

《清友高校での思い出深い出来事》

・教諭として36年、退職後非常勤講師として7年、計43年間におよぶ
  私の教職生活の中で、新任から11年間の八尾市立時代、さらに府立移管
  の激動期を経て5年、計16年間清友高校にお世話になりました。
  新任で若きエネルギーに満ち溢れ、ある意味で怖いもの知らずだった頃、
  ある生徒に「先生のそのエネルギッシュな様子は、今だけなのか、それ
  とも何年経っても変わらないのだろうか?」と鋭く問われた場面を今も
  時々鮮明に思い出します。43年間の間に、自分のその時々の主要な興味
  や課題とするものは微妙に変化したけれども、教師として生徒の成長発達を
  第一に考える姿勢を貫けたのは、清友高校で得た経験や学んだ事の蓄積の
  賜物であり、その意味では清友高校は私の教師生活の原点です。

  清友高校での思い出深い出来事を、思いつくまま上げてみると、、、
  生徒会顧問として執行部のメンバーと議論に明け暮れた日々。執行部の諸君
  には、「リーダーとして最大の尊敬を払うけれども、最大の要求をするぞ」
  等とマカレンコばりに、無理難題を吹きかけたりしたけれども、彼らはそれに
  良く応えてくれました。体育大会、文化祭、修学旅行などの行事に、生徒が
  生き生きと取り組み躍動する場面に、担任として何度も立ち会えた事。
  特に、修学旅行での平和学習は当時全国レベルの実践と言われたものです。
  授業に自主教材やフォークソングを取り入れて、楽しい授業を目指した事。
  英語教育とは何かと自問自答して思い悩んだりもしたなぁ。府立移管の激動期
  には、学校運営の事まで考えねばならず、自分の未知の事が如何に多いかと
  いう事を思い知った事等、数え上げたらキリがありません。

  先日、市高15回の卒業の占春会の役員の方々とお会いして、遠い昔の思い出
  話に花を咲かせる楽しいひと時があり、あらためて若かりし日の事を思い出し
  ました。当時私は、随分「生意気」だったようで、管理職の言いなりになるのを
  嫌った為に担任を持つのを遅らされたり、授業で「自分がしたい事を自由に英語
  で書きなさい」という課題を課して、「a good wife」になりたいと
  答えた生徒に対して、女性といえども仕事を持つべきだなどと論争を仕掛けたり、
  先ほどの自主教材やフォークソングにしても、当時のベトナム戦争を背景に、
  英語教育よりも若干「反戦」に傾斜していたようで、ジョーンバエズやピート
  シーガーを一生懸命教えたけれども、生徒はグループサウンズのファンで、
  ジュリーやショーケンに熱中していた時代でした。

  昼休みになると、若い教師連中は、ソフトボールに興じて、それを女生徒たちが
  グルリと取り巻いて見ているという、これも今思うと異様な光景でした。
  これは、その後他の点と合わせて、「女子校」という事で、生徒が狭い感覚しか
  持てないのではないか、やはり「共学」を目指すべきではないかと、若い教師
  たちの間で、議論が始まった一つのキッカケになった光景ではなかったかと思います。


《教職について楽しかったこと/辛かったこと

・楽しいことは、やはり生徒が成長したり変わったりする場面を目の当たりに出来た
  事ですね。特に、自分が教師として、何分の一かでも貢献できたと感じられる時は
  本当に教師冥利に尽きる思いがしました。ただ、最高に盛り上がった行事でも、
  生徒の成長でも、それは心の中には残ったとしても、形には残らず、その瞬間瞬間で
  消えていくのです。そういう「教育のはかなさ」というものも同時に感じましたね。
  辛かったことは、逆に自分の教師としての指導が入らないというか、空回りをしている
  と感じた時ですね。府立移管直後の激動期は、特にそういう事を感じましたが、でも
  その時の体験が、その後の自分の糧になった事は間違いなく、楽しさと辛さ、苦しさは
  常に表裏一体のような気がします。

 

《教職を選んだ理由

・若い頃よく生徒に尋ねられ、その度「デモシカ」教師だよと答えてガッカリさせていた
  事を思い出します。実際、あまり立派な理由はなく、取り敢えず働いて、年老いた母を
  楽にする事が当時の私には急務でした。自分としては大学院へ進学したかったのですが、
  その為には民間会社より教師の方が時間的に余裕があるのではという浅はかな考えだった
  のです。しかし教育に携わる事はそんなに生易しいものではなく、人格形成や、生き方
  に関わる、大変な重要かつ底の深い仕事で、気づけばドップリと教師という仕事の魅力
  に取り憑かれ、いつしか天職とまで思うようになりました。

 

《近況報告

・完全リタイアして3年、若い頃は組合「運動」に熱中していましたが、今はスポーツの
  「運動」にはまっています。冬は志賀高原をベースにスキー(SAJ1級)を楽しんで
  います。年間平均滑走日数約30日程度ですが、一昨年は海外も含めて52日滑りました。
  その他の季節は主にゴルフ(ハンディ6)をしています。年間平均約50ラウンド程度です
  が、たまに競技に出たりもしています。どちらも40歳を過ぎてから、たまたま周りに
  スキーの達人やらゴルフ愛好家が居たために、私も巻き込まれ、次第に真剣になり始め
  たのですが、今だに楽しくて飽きることがありません。その他、年3・4回は妻と海外
  旅行に出かけています。また、時々各年代の卒業生諸君に同窓会は勿論、少人数の「飲み
  会」に誘って貰えるのも楽しい事の一つです。
  毎日が日曜日で、「生産的」なことから離れ、「消費」のみの生活で若い人達には申し
  訳ないですが、これも日本経済へのささやかな社会貢献と割り切って、健康である限り、
  現在のライフスタイルを続けていきたいと思っています。


《占春会に一言

・皆さんの母校を思う強い気持ちに感謝の一言です。特に幹事の皆様、本当にご苦労様。
  皆様の努力があればこそ、我々は「古き良き時代」の思い出に浸れるのです。