学校の歩みと社会の動き

 

清友学園時代~清友はじまりの物語~


【学校の歩み】

1940(昭和15)

 6月13日 府立清水谷高女創立40周年、紀元2600年記念事業として、同窓会清友会が女学校

        設立を決定。

        昭和16年開校予定、校名を清友学園、用地を高安と決定。

1941(昭和16)

 3月10日 財団法人清友学園に清友高等女学校の設立認可。 八雲延代校長事務取扱に就任。

        生田校長により、本校教育の八綱領制定、教育方針定まる。

 4月11日 新入生100名、清水谷の高女講堂で入学式。

        布施市横沼町3丁目の仮校舎において開校。

 5月10日 この日を創立記念日と決定。

1942(昭和17)

 4月     前府立清水谷高等女学校長生田鹿之丞、校長に就任。

        専任教員:八雲延代、浅井重次、山家鉄五郎、西澤小枝

 9月23日 八尾市柏村169に新校舎竣工移転。

1944(昭和19)
 
 7月    学徒動員令により動員。

 7月 4日 壮行会を挙行。

1945(昭和20)

 1月30日 校舎第2期工事竣工。

 3月    第1回卒業式挙行。
        卒業後も専攻科生として残り動員。

 6~8月   米軍機本校上空へも襲来。

1946(昭和21)

 5月30日 清友幼稚園の設立認可。

1947(昭和22)

 4月 1日 新学制により、清友学園中学校を設置。
        入学生150名。

1948(昭和23)

 4月 1日 新学制により、清友学園高等学校を設置。

 4月26日 PTA結成会、初代会長村岡博隆氏。

 5月26日 A.R.C一行来校、親善ソフトボール試合。

 7月 1日 PTA第1回総会を開く。

1951(昭和26)

 2月18日 講堂兼体育館竣工。

 3月 8日 設置者を学校法人清友学園に変更認可される。

1953(昭和28)

 1月30日 校長生田鹿之丞退職、

       府立清水谷高等学校教諭吉持博、校長に就任。

1956(昭和31)

 8月31日 清友学園中学校を廃止。

 9月 1日 設置者を八尾市に変更。

       八尾市立清友高等学校の設置認可。

       定員450名、学年3クラス。
       清友学園高等学校の教職員および生徒全員を

       市立清友高等学校に継承し、吉持博、校長に就任。

1956(昭和31)

 10月 8日 この日をもって開校記念日と決定


社会の動き】

1940  9月:日独伊三国軍事同盟

     10月:大政翼賛会発足

     11月:紀元2600年祝典

1941  4月:日ソ中立条約

     12月:太平洋戦争

1942  4月:東京初空襲

      6月:ミッドウェー海戦で日本大敗

1943 10月:学徒動員

1944  8月:女子挺身勤労令、学徒勤労令公布

1945  3月:東京大空襲

      8月:広島・長崎原爆投下、ポツダム宣言受諾

1946  1月:天皇人間宣言

      5月:極東軍事裁

     11月:日本国憲法公布

1947  3月:教育基本法・学校教育法公布

         (6・3・3・4制、男女共学)

      8月:水泳古橋選手が400m自由形で世界新樹立

1948  4月:新制高等学校発足

      7月:教育委員会法公布

1949  4月:1ドル360円の単一為替ルート設定

     11月:湯川秀樹中間子論でノーベル物理学賞

1950  6月:朝鮮戦争

      9月:ジェーン台風関西襲撃

1951  9月:サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約

      9月:黒澤明『羅生門』でベネチア映画祭でグランプリ

1952  4月:鳥取市大火

      5月:血のメーデー事件

      7月:ヘルシンキ五輪、日本は戦後初参加

1953  3月:衆議院バカヤロー解散

      3月:ソ連スターリン首相死去

      5月:英登山隊エベレスト初登頂

1954  3月:第五福竜丸ビキニ沖で被爆

      7月:自衛隊発足

1955  5月:紫雲丸事故

      8月:ソニーが日本初のトランジスタラジオ発売

1956 11月:メルボルン五輪で体操・水泳・レスリングで金メダル

     12月:日本が国連に加盟

 

 

 

 

これからも引き続き学校の歩みと、社会の動きを更新していきますので、楽しみにお待ちくださいね。